1995年9月25日に、未来会館で県主催の「人形を送る会」レセプションに、明徳小学校の児童代表と職員代表が参加し、席上オハイオ州から本校に人形がプレゼントされました。後に、児童会が全校に呼びかけ、募集した中から名前を「セーラ」と名付けました。
 その後、「ミス岐阜」人形の修繕が完了し、帰米するときに、新たに草の根運動の募金によって作られた人形「あゆ」をクリーブランドに贈ることになりました。10月6日に、全校児童で、ミス岐阜と妹人形「あゆ」ちゃんを送る会を開催した。
 このような人形に係わる諸活動を知ったギューリック3世から、「友情人形」、「新青い目の人形」として「マリリン」が、1996年3月1日、本校に寄贈されました。 
 また、2003年、カンザス州在住のコルベット氏が「ミス宮城」と来校され、日米友好人形「スーザン・ギブソン」が寄贈されました。
現在、明徳小学校の郷土資料室の中に『「ミス岐阜」と「青い目の人形」の部屋』を設置しています。  
「ミス岐阜」と「青い目の人形」の経緯

1927年(昭和2)年、日米関係の悪化を憂いた親日家のアメリカのギューリック氏は、「人形を通して日本の子供たちとの交流を図ろう」と12,739体の「青い目の人形」を日本に贈りました。。それに応えて、、日本からもお礼の人形を贈ろうということになり、全校の小学校の女性とから一人一銭ずつ募金を集めて、58体の日本人形を贈りました。岐阜県を代表して贈られた「ミス岐阜」は、オハイオ州クリーブランドに届けられました。
 しかし、人形による国際親善交流も実らず、日本とアメリカは戦争という不幸な状態になりました。日本では、多くの「青い目の人形」が敵国人形として壊されました。岐阜県に送られた235体の「青い目の人形」も現在では、パッテロー(八百津町)とメリーブランナー(大垣市)の二体が残されているだけです。
1993年、「ミス岐阜」がオハイオ州クリーブランド美術館に保存されていることが判明ました。傷みを修繕するために、68年ぶりに里帰りすることになりました。
 1995(平成7)年5月21日〜5月24日に本校の職員(長縄幸弘教諭)が付き添いのため渡米し、人形を連れて帰りました。 里帰りにあたって、『「ミス岐阜」人形を迎える会』を催し、児童に公開しました。
修繕後のミス岐阜
修繕前のミス岐阜
セーラ
あゆ
マリリン
ミス岐阜の調度品